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盈德の人文学資源の再照明
歌辭文學の道
盈德が生んだ、または盈德人だった、一世を風靡した賢人と巨匠
懶翁王師、申得淸、尹善道、金漢弘、申乭石まで
彼らは自由な思想で美しい盈德の自然を歌い
時には、手痛い現実を嘆きながら、時代の痛みを描いた。
[歌辭文學探訪コース: 三思海上公園- 風力發電團地- 懶翁王師 盤松遺跡地- 莊陸寺- 申乭石将軍遺跡地&生家]
青山は俺に黙々と生きろと言い
青空は俺に汚れなく生きろと言
い
貪欲も捨て去り、怒りも捨て去り
水のように風のように生きて帰れと言う
誰でも一度は聞いたことがあるであろう、この詩は懶翁王師の詩で、歌辭文學の嚆矢となった作品だ。
盈德が生んだ時代の高僧、懶翁王師が残した数多くの語錄の中で、歌辭文學の嚆矢となった作品だ。
盈德にはこのように歌辭文學作品が多い。盈德が、高麗末期から朝鮮時代を風靡した歌辭文學の本領であることを認めざるを得ない。
盈德郡蒼水面 新基里_ 懶翁王師の故郷_ 懶翁王師が紆余曲折を経て生まれ育った故郷だ。
ここは懶翁王師の誕生説話が残っているカチ沼と、彼が成長したプルミゴルがある「懶翁王師盤松遺跡地」だ。
盈德が生んだ高麗一の高僧で予言者、王師だった彼が直に創建した「莊陸寺」で、懶翁王師の名残りを感じることができる。
盈德郡は2010年9月28日、風力団地内に「歷代轉理歌 歌辭文學碑」を建立、除幕式を行った。
盈德が歌辭文學の本場であることを明らかにした、意味深い行事だった。
高麗の忠肅王時代に蒼水面仁良里に生まれ、平山府院君まで歴任した申得淸は、高麗末期の恭愍王の失政を諌めるために「歷代轉理歌」をつくって奉った。
心からの憂國衷情と共に東海に埋もれてしまった彼の名前、その意味が今になって再照明されている。
「国を建て、治め、社稷を安らかにすることは
前の時代を起した王のごとく
国を乱して社稷を滅びさせたことは
前の時代の愚かな王のごとく」
韓国文学史の中で、歌辭文學の嚆矢と評価される、懶翁王師の禪詩と歷代轉理歌_
懶翁王師はこの他にも「西往歌」、「僧元歌」などをつくった。歌辭文學の新たなジャンルを切り開いたのだ。
申得淸と懶翁王師、それぞれ目的は異なっても、故郷の盈德に帰依したことは共通している。また、歌辭文學を最初に創作した点も共通している。
高麗末期に始まった彼らの文学は、歌辭文學という新たな地平を開いたのだ。
歌辭文學は、朝鮮時代にずっと歌われた詩文学だ。
簡潔で含蓄的で、定型化された時調とは異なり、四文字四節ずつで構成される基本的なリズムだけが存在し、長さは自由に歌うことができる歌辭文學。
風力発電団地に至ったら、もう一つの文学碑、孤山尹善道詩碑に会える。
天才吟遊詩人、江湖を巡りながら全国各地で風流を歌った尹善道先生が、丙子胡亂によって盈德に流された時も、先生の詩魂は止まるところを知らない。
去年の中秋には南海で
水雲が暮れる頃、藁屋根の下で月を迎えたた
誰が思っただろうか、今宵、東海の海
辺で
月光に面と向かって、昔の丘を懐かしがるとは。
満月の日に、東海岸月見夜間トレッキングのイベントが行われるここで、かの昔の先賢の感興を思い起こしてみる。
数百年経った今でも、自然は相変わらず孤高節操を守っていた当時の感動を与えている。
朝鮮時代全体をかけて変化してきた歌辭文學は、士大夫歌詞、閨房歌詞など多様になり、時代的な特性を反映しながら、次第に宗教歌詞、開花歌詞などに発展していった。
河山 金漢弘(1877-1943)先生の海遊歌碑文を求めて、三思海上公園に向かう。
盈德の江口で生まれ育った金漢弘先生は、先進国の進んだ文化に接し、その驚くべき光景に感動しながらその文物と風習を描いた米国紀行歌辭 – 海遊歌をつくった。
「光化門の六曺街に雑草が茂り
普信閣の古屋の前に黒服が歩きまわる
北岳山の古い松栢萬像が物悲しく
紫霞洞を流れる水音に息が詰まる」
国が瀕する現実の前で歯がゆい思いを抑えきれず、思わず吐き出した詩の一節。
「楼閣に登った旅人は行く道を忘れ
落木が横たわる国を嘆く
男児二十七歳に何を成し遂げたのか
不意に吹く秋風に感慨をもよおす」
抜群の感性と冷徹な表現で時代と歴史を歌った彼らは、今日まで後世に伝えられながら盈德の精神文化を導いているのだ。
盈德が歌辭文學の本場であることを、延いては韓国の精神文化の大きな脈を引き継いでいくことを明らかにしてくれる、歌辭文學探訪路を歩いてみた。
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